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2017年9月定例会本会議

まちづくり

ライフスタイルに根ざす文化芸術

○議長(垣内基良 君)次に、行政事務一般に関する質問及び知事提出議案を議題といたします。

 順次発言を許します。

 最初に、百瀬智之議員。

      〔5番百瀬智之君登壇〕

◆5番(百瀬智之 君)おはようございます。

 ルネサンス芸術の都、フィレンツェの中心を彩るウフィツィ美術館は、メディチ家歴代の美術コレクションを収蔵し、イタリアルネサンス絵画の宝庫と言われます。古代ギリシャ、古代ローマ時代の彫刻から、ボッティチェッリ、ダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロら巨匠の作品を多数展示するこのウフィツィ美術館。ウフィツィという名前は、英語でいうオフィスに由来し、もとはバザーリの設計で1580年に竣工されたフィレンツェの行政機関の事務所だったといいます。

 信濃美術館の整備が進む昨今の長野県ですが、もしかしたら、この県庁や議会棟も、数十年後、数百年後には、世界から人を集める美術館になっているかもしれない、そんなことに思いをはせつつ、今回は文化芸術振興策についてお尋ねします。

 さて、今月、私は、松本青年会議所のメンバーとともにアメリカは西海岸、オレゴン州ポートランド市を訪れました。偶然ことしは役員の立場をいただいていたため、今世界で最も進んだ町づくりをしている地方都市を見聞しようと思い立ち、その矛先を当てたのがポートランドでした。

 ポートランドは、全米で最も住みたい町、全米で最も環境に優しい都市、全米で最も出産に適した町、全米で最も外食目的で出かける価値のある都市など、さまざまな言葉で形容されています。作家の村上春樹氏は、ポートランドをして、「高度の専門教育を受け、収入に余裕のある若い世代の人々が、この地域に移り住むようになった。ポートランドは毎年「若い世代の人々が暮らしたい都市」リストの上位に食い込んでいる。そのような人々はクオリティーの高い、しかし華美ではない生活環境を求めているし、外食もそのライフスタイルの大事な一部である。」と表現しています。

 現地で痛感したことは、一つには、アートに対する向き合い方が日本と全く異なるということです。例えば、人口減少という命題に対して、日本の自治体の場合、それならば域外の人々を地元に呼び込まなければならない。少なくとも人口流出は抑えていかねばならない。そのためには地元で仕事がなければならない。産業振興こそが人口減少対策の要諦であるというぐあいで、そこに文化芸術がどのような役割を果たせるかは時に不可解ですらあります。

 しかし、毎週350人もの人々が移住してくるポートランドで起こっていることはそれとは逆の発想で、移住者の多くは仕事の有無よりも前に、まさに自分が住みたい土地がポートランドであるということを優先しています。つまり、移住の決め手は、どこに暮らしたいかといういわばインスピレーションが第一で、どんな仕事を始めるか、どんな仕事につくかは、実際にそこに暮らし始めた中で決めていくというライフスタイルがあるわけです。

 自分たちの感受性に合致した気持ちのよい生活が実現することで、人々が集まり、町が発展し、企業はそんな人々が多く住む人気の町を目指して後からやってくる。情報技術の発達と産業構造の変化によって仕事のあり方も変わり、旧来の発想ではにわかに信じがたい新しい序列が起こっています。そして、そんな町のあり方に対して、アートこそは重要な役割を果たしています。街角で少女がバイオリンを弾いていたり、壁面を丸々アートに使った建物が点々としている光景は、日本ではまず見ません。一見奇抜な風景は、社会の寛容性と可能性をあらわしているかのようです。

 また、例えば、ポートランド郊外に本社のあるスポーツメーカーのナイキは、既に大きな成功をおさめた企業でありますが、成熟し切ってみずからの歩みをとめているという事態には全くありません。今でも新しい才能のある若者を次々と受け入れ、その若者たちは音楽や芸術、パフォーミングアーツといったアート分野に十分な刺激を受けた知的層やナレッジワーカーであったりします。

 あらゆる社会的課題に対して創造的解決を図っていくには、アートやデザインの根本にあるクリエーティブな能力が必須であり、そのような能力を発揮できる領域の拡張とそれに対する社会的認識は、今の日本に欠けている部分だと思います。

 そこで、信州を振り返ってみると、一昨年を文化振興元年と位置づけた折、信州の文化芸術が今後どのような針路をたどるかは、まさに今この瞬間にかかっているとすら思います。

 くしくも、来年は「信濃の国」が県歌に制定されて50周年です。「信濃の国」は、明治32年に、県師範学校、現在の信州大学教諭の浅井洌氏が作詞し、翌年に曲をつけて完成。学校現場を中心に歌い継がれるようになり、昭和23年の本会議に上程された分県案の採決直前に傍聴席で「信濃の国」の大合唱が始まった逸話は余りに有名です。議場がさながら劇場のようだったであろうこのときから数えて、来年は70年を迎えます。県歌に敬意を表して、今、再び何らかのアクションがあってもよいと考えますが、県歌制定50周年を記念しての事業や企画など何か考えていることがあるか、企画振興部長にお尋ねします。

 その上で、以下のとおり長野県に音楽の日を設けるべきではないか、知事にお尋ねします。

 ことしも大盛況だったセイジ・オザワ松本フェスティバルはもとより、夏から初秋にかけてのこの時期、近年は県内各地で音楽祭などが開かれるようになりました。地元で行われる音楽祭や演劇祭に県民が気軽に足を運べるよう、文化的な土壌を政策的に形成することは重要なことです。

 この点、確かに日本では文化の日があって、文化祭や芸術イベントが開催されますが、やはりこれだけでは物足りません。殊に信州では11月ともなれば相当寒く、町に繰り出して文化芸術を開放的に楽しもうという雰囲気にはなじみません。

 また、昨年上高地で実施された山の日記念式典に出席して思ったことは、日本が誇る信州の山岳高原と管弦楽の調和が絶妙だったということで、山の日が全国的な祝日として位置づけられた今、例えば信州では山の月間中にしかるべき日を設けることが信州独自の取り組みをさらに前進させる有効打になるのではとも感じます。ジャンルは「信濃の国」からJポップまで、場所は山岳高原から村々、街角の建物や広場まで、老いも若きも県民が音楽を通じて心を一つにする機会を新たに設けてはいかがか、知事のお考えを伺います。

 冒頭のフィレンツェにしてもポートランドにしても、そのときその場所において、決して大都市ではない地方に位置しながら現世、後世に大きな影響を与えたのは、文化、芸術、学問への傾注が一都市の知的活動にとどまらず、ライフスタイルや社会のあり方を問い直し、それが結果として歴史の歯車を回転させていったからです。阿部知事のもとに新しいライフスタイルを提案する信州ですから、文化芸術振興はそれと不可分一体のものとしてぜひとも絶え間ない政策を打っていただくことを強く要望し、今回の一切の質問を終わります。ありがとうございました。

      〔企画振興部長小岩正貴君登壇〕

◎企画振興部長(小岩正貴 君)「信濃の国」県歌制定50周年についてお答えをいたします。

 昭和43年5月に明治100周年を記念して「信濃の国」を県歌に制定して以降、来年、平成30年に50周年を迎えるところでございます。県では、「信濃の国」について県民の意識を探るため、県政モニターアンケートを実施したところでございますが、この中で、県民の皆様から、「信濃の国」の魅力を広め、より多くの方々に歌って知っていただくために効果的な方法として、「小中学校で歌う機会をふやす」や「駅や観光スポットで放送する」といったさまざまな御提案をいただきました。

 「信濃の国」は、郷土愛を育む県の大切な財産でございますので、こうしたアンケート結果も参考に、後世に歌い継いでもらえるような事業を検討してまいりたいと考えております。

 以上でございます。

      〔知事阿部守一君登壇〕

◎知事(阿部守一 君)音楽の日を制定してはどうかという御質問でございます。

 百瀬議員の御質問を拝聴させていただきながら、まさにアーティストが集い、そしてクリエーティブな活動が行われる町づくりというのは、私も理想としている方向性であるというふうに改めて感じております。

 これからの社会は、やはり多様性がある社会にしていかなければいけないというふうに思っております。そういう中で、文化芸術の重要性というものは改めて認識されなければいけませんし、我々行政もこれまで以上にそうしたソフトの側面での取り組みをしっかり考えていかなければいけないというふうに思っております。

 そうした思いで文化芸術振興に取り組んできているわけでありますけれども、セイジ・オザワ松本フェスティバル、あるいは芸術監督団に小林研一郎さんをお迎えして、先般も飯山において障害がある方も一緒に演奏者、観客として御参加いただけるコンサートの開催等さまざまな音楽文化の振興に取り組み始めているところでございます。

 音楽の日を制定するということについては、これは広く多くの皆様方のコンセンサスというものが重要だというふうに思っております。私としては、まずはこの取り組み始めた音楽を含めた文化芸術の振興をさらにしっかりと道筋をつけていきたいというふうに思いますし、この音楽を長野県としてどう生かしていくのかということをしっかり考えていく中で、広く県民や関係者の機運が高まった段階で考えていきたいというふうに思っております。

 以上です。