MENU

NEWS / BLOG

教育再生ー義務教育考察編④ー

美術や家庭科の授業も見させてもらった。日本の中学校と違うことといえばどうだろう。例えば美術の授業の一環で、校舎に絵を描くことが許されている!のは若干驚いた。

廊下の壁面に所々、キャラクターの絵が描かれている。フィンランドではお馴染みのムーミンや、ディズニーキャラクター、なんとセーラームーンも!どれもとても上手。日本では「落書きはダメです!」になりそうだが、落書きとアートの境界線は微妙なものだ。

確かにストリートアートなど、文化芸術の息吹を至る所に感じる街を目指すのならば、こうした学校でのあり方から変えていくべきだろう。息つく場所が身近にあることは、子どもたちにとっても重要だと思う。

またもうひとつ、美術や家庭科は小中学校段階から選択科目になっていて、履修具合に応じて「ポイント」がつけられるとのこと。中学から職業学校に進学する際に、このポイントが入試の審査対象になる。

日本では、いわゆる内申制度がそれに近い。内申をより具体化し、中学校段階から将来の自分のキャリアを意識させる仕組みであるように感じた。選択科目を「5教科の付属品」として扱うのではなく、自分のキャリア形成にしっかり活かせるような制度設計を考えさせられた。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

さて、話を本題に戻そう。

最後に紹介するのは「サポータークラブ」。

一見誰のサポーター?という感じのこの制度、私なりに表現すると「自治会」である。

例えば普通はどこの中学校にも「生徒会」はある。学校によって組織図は違うだろうが、放送委員会や図書委員会、体育委員会など、下部組織に委員会を置く。「クラスから○人」という調子でメンバーが選出され、活動内容も、役割分担も、おおよそは予め内容が決まっている。

こちらの小中学校にも生徒会はあって、私なりの表現をすれば「守備的」に、そういった「お決まりの」諸課題にあたっているようだ。だがこうしたディフェンシブな取組みだけでは、児童生徒たちの現代的課題に対処するのは十分ではないのだという。

そこで「攻撃的」対処を担うのがサポータークラブ。児童生徒たちの日々の身近な課題、問題をみんなで話し合って解決していこう。その為に団体として率先して行動していこう!というアグレッシブな組織である。

新入生の面倒を見たり、教室内のルールを変えたりと、生徒会では扱いづらい問題を一手に引き受けている。サポータークラブに入っている4人の生徒さんから「最近、食事の際に帽子着用NGのルールをつくったんだ」なんていうエピソードを聞いたりもした。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

実はこのサポータークラブが、いじめに対して大きな役割を果たしている。

近年のいじめの特徴として、陰湿化していること、周りからは気づかれにくいことなどが挙げられる。SNSを通じたものもかなり増えている。これらは発見しづらく、より深刻な事態になりやすい。そして先生や大人たちの力だけで防ぐには限界がある。

サポータークラブはここを突く。メンバーが自ら何かしらの異変に気づくこともあれば、他の生徒からの申告によって対処することもある。いじめの予兆に率先して対処し、先生たちと共同戦線を張っているのだそうだ。

思えば確かに、「いじめを傍観することもまた、いじめです。」と言われても、自分一人で何ができるのかとつい思い悩んでしまう。下手なことをしたらいじめっ子から返り討ちに合うのではと、躊躇うケースは少なくない。日本では、「不運にも、いじめを見つけてしまったその先」がほぼ生徒任せになっていて、勇敢に立ち向かおうとしても「え、何カッコつけてるの?」というような雰囲気になりがちだ。

その点、「いじめ、NOです!」と声高に叫べる生徒集団がいることは大きい。学校内での影響力はかなり大きいようで、「もともと人を助けたいと思ってサポータークラブに入った。色々と取り組んできたが、大人の社会でも通じることをやってこられたと思う。」と言うメンバーの目には力がこもっていた。

こういう光景を目の当たりにすると、日本のいじめ対策の脆弱さを思う。事後的な対応策ばかりで予防策・事前策が一向に講じられていない。

キヴァプログラムも、ウェルソプログラムも、スンピクラブも、サポータークラブも無くして、どうやっていじめの問題にあたるというのか。飛車角抜きでの将棋指しは、教育現場に似つかわしくない。

ポジティブチェンジャーが育っていく様々な仕掛けを、改めて信州の公立校でもつくりたいと思った。

これからの日本の公立学校の正義は誰が決めるのか。

校長先生?担任の先生?ジャイアン?

いや、生徒一人ひとりが果敢に意見を闘わせ、自分なりの正義を実現してほしい。

そしてそれを可能にする学校であってほしい。

誰にも言いたいことはある。

多くのポジティブチェンジャーが生まれ、学校と、その先の社会を大いに変革してくれることを願ってやまない。